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流行歌とは

流行歌は、ポピュラー音楽の音楽ジャンルの一つです。

誕生

1928年〈昭和3年〉~1960年頃

【概要】
昭和流行歌ともいいます。

流行歌は日本のポピュラー音楽の起源ともいえるジャンルです。

日本の商業制作による大衆歌謡のうち、欧米のフォークソングなど新しい音楽が流入して分野が多岐に分かれる以前、昭和初期~30年代初頭までの音楽です。

明治以降の西洋音楽の浸透とレコード技術の移入、そして大正時代から昭和初期にかけての大衆文化の発達に伴い、庶民の娯楽として登場しました。

「流行り唄」から、流行歌への移行の胎動が見られ始めるのは、1928年(昭和3年)のことです。

日本ビクター、日本コロムビアなど外資系レコード産業の成立によって、マイクロフォンを使用した電気吹込みによるレコード歌謡が誕生しました。

大正時代の書生節・流行り唄と異なり、レコード会社が企画・製作し宣伝によって大衆に選択させる仕組みが生まれました。

音声は当時まだステレオ録音がなかったためモノラルのSPレコードです。SPレコードの録音可能時間が4分程度と短いため、アルバム形式での発表はなく、すべてシングルでの発表でありました。

音楽愛好家の間にはクラシック音楽を至上として考え、大衆の中から生まれて来た流行歌を卑俗なものとする傾向が強くあったが、電気吹込み時代の昭和流行歌はクラシック・洋楽系演奏家による歌唱が主流となり、家庭でも聴けるような流行歌も作られています。

それ以外にも男女の自由恋愛や安易に身を売る女性などをテーマにした唄もあることから、風紀上好ましくないと言う意見も多かった。

このため学校などで児童・生徒が唄うことは禁止されていました。

戦後もその傾向は続き、1949年(昭和24年)に、まだ12歳に過ぎない美空ひばりがデビューした時にも「あんなに幼い少女に流行歌を歌わせるとは何事か」という批判も少なからずあったといいます。

流行歌がその価値を正当に認められるようになるのは、流行歌の時代が終わってから10年ほど経ち、テレビが家庭に普及して「懐メロ番組」が組まれ、ブームとなって以降のことです。

声楽家であった佐藤千夜子は、ビクターから流行歌手として登場しました。

歌謡界の女王として「日本最初のレコード歌手」の栄誉を手にすることになります。

これによりビクターは、作曲家に中山晋平・佐々紅華です。

作詞家には時雨音羽・堀内敬三を擁し、他社を押さえて大きく躍進することになりました。

しかしその後、コロムビア、テイチク、ポリドールの3社が大きな勢力を握ることとなります。

戦時中は、敵性語追放の名の下にレーベル名や社名を強制変更されたり(「コロムビア」→「ニッチク」、「キングレコード」→「富士音盤」など)、強制合併させられたり、挙句の果てには「不要不急産業」として工場を無理矢理軍需工場に転換されたりと、事実上まともな活動の出来る状態ではなくなってしまった。

1944 年(昭和19年)には「月夜船」以外流行歌は発表されなくなりました。

そして1945年(昭和20年)、東京大空襲によって東京が壊滅的な打撃を受けると、4月新譜をもってレコードの製造も停止し、完全に休眠状態になりました。

1945年(昭和20年)8月14日ポツダム宣言受諾により、レコード業界はさっそく復活の狼煙を上げ、各地に従軍や疎開していた歌手や作曲家・作詞家を呼び戻し始めた。

そして翌年から早くも活動を再開しました。

戦後は、戦前とは異なる歌手が人気を集め、流行歌の音楽性は大きく変容しました。

器楽的な部分はなりを潜め、のちの「演歌」や「歌謡曲」に通じるような曲が多く生まれました。

この戦後の時期の歌手を「流行歌歌手」として認めない意見も多いです。

戦後は、コロムビア、テイチク、キングレコードが勢力を伸ばしました。

流行歌の変容は1960年(昭和35年)頃に差しかかると完全に歯止めが利かなくなり、なし崩し的に解体が始まった。

そして1963年(昭和38年)、コロムビアの一レーベルであったクラウンが「日本クラウン」として分離独立し「演歌」を専門とするようになります。

またその前年、1962年(昭和37年)にはSPレコードの生産が打ち切られLPレコードに変わった。

そして英米からザ・ビートルズに代表される新しい音楽が大量に流入し、日本の音楽界は一気に多様化することになります。

こうなるともはや日本の大衆音楽はジャンルとしてひとくくりに出来るものではなくなり、音楽ジャンルとしての「流行歌」は1960年代初めをもって事実上の終焉を迎えた。

流行歌の終焉後、流行歌にたずさわった歌手や作詞家・作曲家たちは、演歌歌手に転向したり歌謡曲と違う分野に転身したりと散り散りになり、やがて多様化する音楽分野の波の中に埋没して行った。

1960年代にデビューした弘田三枝子がザ・ピーナッツの和製ポップスに続いてリズム・アンド・ブルースのジャンルを日本に持ち込み、日本歌謡界における楽曲ジャンルの多ジャンル化に拍車が掛かった。

流行歌手出身で演歌歌手的なスタンスをとっていた美空ひばりも1989年に死去し、以後1990年代にJ-POPやラップなどのジャンルが誕生するなど、現在に至るまで日本の楽曲は多種多彩なジャンルが生まれています。

使用楽器

・ ストリングス

定義

流行り唄の中で、レコード技術の発展により、レコード会社によって商業音楽として作られた音楽です。

楽曲的には流行り唄と区別はないように見受けられます。

演歌と比べて、ドラムが入らず、基本旋律楽器のみで構成されるようです。

特徴

流行歌は、クラシック音楽を基礎とし、極めて器楽的であり、使用楽器も室内楽のものに準じることが多いです。

ギターが使用されることもあるが、クラシックギターです。

譜割りも現在のポピュラー音楽と違い一定の規則を守っており、その中で個性を出すことに作曲家の才能が試されていました。

後世からは「演歌」と混同されることが多いが、音楽性の面から見ても大きく異なります。

流行歌の音楽性は現在の演歌・歌謡曲に加え、クラシックの声楽曲などさまざまな分野の要素が渾然一体となった様相を呈しており、演歌以前の独立的な音楽性が認められるからです。

ドラムセットが徐々に定着し始めたが、まだ浸透していなかったため、基本ドラムが入っていません。

代表曲

・ 中山晋平作曲 『カチューシャの唄』 『船頭小唄』 『波浮の港』

アーティスト

・ 二村定一
・ 佐藤千夜子
・ 藤山一郎
・ 美空ひばり
・ 島倉 千代子

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