ジャズとは
ジャズは西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽であり、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に派生した音楽形式です。スピリチュアル、ブルース、ラグタイムの要素を含み、根底的には西アフリカ、西サヘル、ニューイングランドの宗教的な賛美歌やヨーロッパの軍隊音楽にあります。
アフリカ音楽を起源とするものについては、アフリカからアメリカ南部に連れてこられたアフリカからの移民とその子孫の民族音楽としてもたらされたとされており、都市部に移住した黒人ミュージシャンによってジャズとしての進化を遂げたといわれています。
ニューオーリンズが発祥の地とされており、現在でもその語源ははっきりしません。
西洋楽器を用いた高度な西洋音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と音楽形式とが融合して生まれました。
演奏の中に
- ブルー・ノート
- シンコペーション
- スウィング
- バラード
- コール・アンド・レスポンス(掛け合い)
- インプロヴィゼーション(即興)
- ポリリズム
その自由な表現形式は白人音楽家にも注目され、技法や理論など急速に発展しました。
20世紀半ばには人種の枠を越えた現代音楽の主要ジャンルの一つとして認識され、現代音楽理論を先導する高度な体系をつくりあげた。
その結果、ジャンルを越えた音楽芸術の現代的様式の一つとなり、様々な方向性に発展を見せ、現代の音楽の源流を形作った重要な役割を担う存在です。
ジャズの起源と成り立ち
初期
初期のジャズは、マーチングバンドと20世紀初頭に流行したダンス音楽に影響を受けており、金管楽器・木管楽器・ドラムによる組み合わせの形態はこれらの影響に基づくものといえる。当初は独学でジャズを創作していった者も少なくなかったが、ジャズと音楽理論が融合するようになっていったのは、ジャズが黒人社会に広く普及し、古典的なヨーロッパの音楽理論を取得したアフリカ系黒人ミュージシャンがジャズに反映させていく時点からです。
アメリカの禁酒法時代に地下化した酒場に集うミュージシャンによって、あるいはレコードやラジオの普及によって、ダンスミュージックなどのポピュラー音楽のスタイルがまだまだ渾然一体となっていた1920年代初頭にはアメリカを代表する音楽スタイルの一つとして、アメリカ国内の大都市に急速に広まった。
第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期が「ジャズ・エイジ」と呼ばれるのはこのためです。
1920年代
1920年代にはイギリスでもジャズが流行り、後のエドワード8世も少年時代にレコードを収集するなど、幅広い層に受け入れられました。1930年代
1930年代には、ソロ演奏がそれまで以上に重要視されるようになり、ソロを際だたせる手法の一つとして小編成バンドが規模拡大してビッグ・バンドスタイルによるスウィング・ジャズが確立されるようになり、人気を博します。この背景には、人種的障壁で隔てられていた黒人ミュージシャンと白人ミュージシャンの媒介としての役割を果たしたクレオールの存在がありました。
スウィング・ジャズはアレンジャーとバンドリーダーの立場がより重要視されるようになり、特に代表的なバンドリーダーの一人であるルイ・アームストロングの存在は、ジャズとヴォーカルとの融合という側面(アームストロングはトランペット奏者でありながら自ら歌も歌った)において重要な役割を果たしました。
一方で保守層やファシズム政権等では、「黒人音楽」であり「軽佻浮薄」な「非音楽」であるとしてジャズを排斥する動きも起こった。
ナチ党のアルフレート・ローゼンベルクはその急先鋒であり、ナチス・ドイツ時代には反ジャズが政府の公式な見解となり、1935年に黒人が演奏するジャズの放送が禁止されるなど、様々な条例が作られました。
しかし当局によるジャズの定義があいまいであったため、ドイツ人演奏家によるジャズ演奏自体は盛んに行われていました。
また宣伝相となったヨーゼフ・ゲッベルスは、すでに大衆音楽として普及していたジャズを禁止することは得策ではないとして、娯楽放送や宣伝放送にジャズを紛れ込ませました。
その一方、ソロを際だたせる別の手法として、アレンジを追求したスウィング・ジャズとは異なる方向性を求める(あるいはスウィング・ジャズに反発する)ミュージシャンにより、即興演奏を主体としたビバップ等の新たなスタイルが模索されるようになります。
1940年代
1940年代初頭には、ビバップに傾倒するミュージシャンも増えていくが、1942年8月から1943年秋にかけて、アメリカで大規模なレコーディング・ストライキがあったため、初期ビバップの録音はわずかしか残されていません。1940年代後半には、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー等が多くの録音を残しました。
1950年代
1950年代には、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップ等の新たなスタイルが登場し、モダン・ジャズの流れを作り出すことになります。1957年、フランス映画『大運河』(監督:ロジェ・ヴァディム)でジョン・ルイスが音楽を担当し、サウンドトラックはジョンが在籍するモダン・ジャズ・カルテット名義の『たそがれのヴェニス』として発表です。
サウンドトラックを丸ごとジャズにゆだねたのは、伝記映画を除けば初のことでありました。
以後、フランスで「シネ・ジャズ」と呼ばれる動きが起こり、マイルス・デイヴィスが『死刑台のエレベーター』(監督:ルイ・マル)に、セロニアス・モンクが『危険な関係』(監督:ロジェ・ヴァディム)に、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが『殺られる』(監督:エドゥアール・モリナロ)に、ケニー・ドーハムが『彼奴を殺せ』(監督:エドゥアール・モリナロ)に参加です。
1958年には、アメリカ映画『私は死にたくない』(監督:ロバート・ワイズ)にジェリー・マリガンやアート・ファーマー等が参加し、以後アメリカでも、ジャズが本格的に映画音楽として使用されるようになりました。
1950年代末期には、マイルス・デイヴィスの『マイルストーンズ』『カインド・オブ・ブルー』といった作品で、モード・ジャズという手法が試みられ、即興演奏の自由度が増します。
1960年代以降
一方、オーネット・コールマンやセシル・テイラー等は、より前衛的で自由度の高いジャズを演奏し、1960年代になると、オーネットのアルバム名からフリー・ジャズという言葉が広まっていきました。1960年代前半には、ブラジル音楽のボサノヴァに注目するジャズ・ミュージシャンも多くなります。
スタン・ゲッツは『ジャズ・サンバ』(1962年)をビルボード誌のポップ・チャート1位に送り込み、翌年にはボサノヴァの重要人物(ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン等)との共演盤『ゲッツ/ジルベルト』を制作、グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞です。1965年には、『リカード・ボサノヴァ』が、ジャズの曲として大ヒットし、スタンダード・ナンバーとして認知されるまでになります。
1960年代までのジャズは、一部の楽器(エレクトリックギター、ハモンドオルガン等)を除けば、アコースティック楽器が主体でした。
しかし、1960年代末期、マイルス・デイヴィスはより多くのエレクトリック楽器を導入し、『ビッチェズ・ブリュー』を大ヒットさせます。
同作に参加した多くのミュージシャンも、独立してエレクトリック楽器を導入したバンドを次々と結成し、クロスオーバージャズ、さらには後にフュージョンと呼ばれるスタイルに発展していきます。
ジャズの種類
アーリージャズ
クラシックジャズ、オールドジャズともいいます。1940年以前のビバップより前のジャズ。
モダンジャズ
一般に、1940年代に確立したビバップから、1960年代終盤の、「電化ジャズ」あたりまでのジャズの総称です。但し、一般に電化ジャズ自体は含まない。