誕生
1926年国
ヨーロッパ概要
元々タンゴは、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ(主にフランス)で流行した、イギリスの「カントリー・ダンス」を起源とする舞曲「コントラダンサ」が起源です。当時フランスの植民地だったハイチの1791年のハイチ革命において、避難民によりアルゼンチンにもたらされ、ハバナ風コントルダンス(ハバナ[現在のキューバの一都市]は、ハイチの隣の島)となり、後にハバネラと呼ばれるようになります。
ハバネラは、当時アルゼンチンを植民地支配していたスペインのフラメンコの影響を受け、ミロンガ、そしてタンゴ(アルゼンチンタンゴ)へと発展していきました。
タンゴは、1910年前後から、ヨーロッパに渡って活動するタンゴの演奏家や踊り手が増え始めたことで、フランスやドイツなどにも種が蒔かれ始めた。
そして、1925年のフランシスコ・カナロ楽団によるパリ公演の成功を機に、大きなブームが起こった。
ヨーロッパ独自のタンゴ文化が生まれ、1920年代後半から30年代にかけて、各国でオリジナルのタンゴが作られるようになったのです。
有名な作品といえぱ、『ジェラシー Jalousie (ヤコブ・ガーデ作 《1926年・デンマーク》)』 と 『碧空 Blauer Himmel (ヨゼフ・リクスナー作 《1937年・ドイツ》)』 です。
当時の演奏家としては、ドイツのヴァイオリン奏者バルナバス・フォン・ゲッツィ(1897~1971)率いる楽団が特に有名です。
こうしたヨーロッパ製タンゴのことは、コンチネンタルタンゴと呼ばれるが、実はこの呼称は日本独特のものです。
ヨーロッパで独自に発展したタンゴは、まさにヨーロッパ的と言える優雅で美しい旋律を特徴とするものが多いです。
反面、アルゼンチン・タンゴが本来持っていたリズムの面白さはほとんど感じることができません。
曲の構造も違えば、演奏スタイルも異なり、弦楽器が主体で、通常バンドネオンは入らず、代わりにアコーディオンが入ったりします。
そのコンチネンタル・タンゴが、いささか歪んだ形で紹介されたのが、戦後の日本でした。
日本では戦前からタンゴが親しまれていたが、アルゼンチンのタンゴもヨーロッパのタンゴもひとまとめにしてヨーロッパ経由で紹介されることが多く、コンチネンタル・タンゴのファンも多かった。
そうした経緯があったことから、一部のレコード会社やプロモーターが、ヨーロッパでは既に落ち目のコンチネンタル・タンゴを盛んにプッシュしたのです。
そのピークは1960年代半ばのことでした。
それが後の日本のニューアダルトミュージックなどに影響を与えたように見受けられます。
日本でのコンチネンタル・タンゴ・ブームの立役者となったのが、ドイツのアルフレッド・ハウゼと、オランダのマランドでした。
ハウゼは、本国では放送局のオーケストラの指揮者を務めていて、タンゴはレパートリーの一部に過ぎなかったが、日本ではタンゴ専門の楽団として売り出され、成功したのです。
ハウゼやマランドを筆頭とするこの『コンチネンタルタンゴ』は、タンゴ本来の音楽からは極めて遠い位置にあり、ヨーロッパの優雅な雰囲気とクラシックの影響を直接的に受けているため、ムード音楽の一部、または発展型という見方が多いです。
アーティスト
・ アルフレッド・ハウゼ楽団 《コンチネンタルタンゴの立役者》・ マランド楽団
・ ゲルハルト・ベーレン楽団
・ スタンリー・ブラック楽団 (ラテンやジャズ要素あり)